廃墟好きのごまですが、特に惹かれるのが遊園地の廃墟です。
大勢の人・カラフルな色・楽しい乗り物や音楽に囲まれた空間が寂れていく様は、儚さと共に何ともいえない不思議な魅力を纏っているものです。
日本の遊園地の廃墟は、海外の廃墟マニアの間でも有名なものがいくつかあります。
今回はその中でも特に有名で人気のあるスポットを厳選して紹介していこうと思います。
奈良ドリームランド
場所は奈良県奈良市北部。
1961年7月1日に開業し、2006年8月31日に閉園しました。
日本版ディズニーランドを目指して、ディズニーのノウハウを元に作られた遊園地です。
当時としては日本最大を誇り画期的なアトラクションも多かった為、ピーク時には年間160万人の来園者数を記録するなど、県を代表する遊園地として大きな人気を集めました。
しかし、1983年に開園した本家の東京ディズニーランドや、2001年開園の大阪のUSJの登場により、客数は激減し、2006年に45年の歴史に幕を閉じます。
国内外の廃墟マニアに大人気だった奈良ドリームランド
これ程の規模の施設には珍しく、閉園した2006年から10年間も乗り物など全てがそのまま放置状態で廃墟化しました。
廃墟となった後は、日本でも有数の人気廃墟スポットとなり、海外からも廃墟マニアが訪れるほどでしたが、治安上の理由などから2016年11月~2017年1月にかけて惜しまれつつも解体され撤去されました。
ローラーコースターを覆う草や朽ち果てた木製ジェットコースター、廃墟となってもなお人を惹きつける圧倒的な存在感・・・「夢の終わり」を代表するトップオブ廃墟遊園地です。
ミラーサイト
当時の奈良ドリームランドのサイトはこちら
化女沼レジャーランド
場所は宮城県古川市小野遠沢(現大崎市古川小野遠沢)。
1979年に開園し、2001年に休園しました。旧名は化女沼保養ランドです。
東京ドームと同じ広さの敷地内には、遊園地だけでなくパークホテルや野外ステージ、ゴルフ場などが揃っていて、最盛期の来園者は年間20万人~30万人にのぼり、野外ステージではゴダイゴなどの人気アーティストによるコンサートも行われていました。
バブル崩壊によるレジャー不振によって来園者が激減し、2001年10月に休園となりました。
休園後の2003年に温泉採掘に成功しましたが、それを活かすこともなく未利用のまま施設丸ごと廃墟化しています。
廃墟マニアの聖地とまで呼ばれ愛された化女沼レジャーランド
廃墟となった後も、許可を取れば映画やプロモーションビデオの撮影やコスプレイベントなどの利用が可能だった為、多くの作品のロケ地となっています。
国内外の新聞やTVなどのマスコミに当園が取り上げられたことにより、いつしか「廃墟マニアの聖地」とまで呼ばれるようになり、廃墟としては異例の見学ツアーまで開催されるようになりました。
2016年に元運営者の希望により、ツイッターで化女沼レジャーランドの売却先を公募することになります。
売却の話や見学ツアーの好評をきっかけに、2017年の1月には化女沼レジャーランドを日本唯一の「廃墟テーマパーク」として復活させるプロジェクトが発足しましたが、結局資金不足により計画は幻となってしまいます。
殺風景な空き地に佇む雰囲気あり過ぎの観覧車と、周りにポツポツとあるメリーゴーランドや朽ちて埋もれた遊具がなんともいえない独特の空間を生み出しています。
ごまメモ
ちなみに、『魔法少女まどかマギカ 叛逆の物語』のOP映像に出てくる観覧車は、化女沼レジャーランドの観覧車がモデルといわれています。
高子沼グリーンランド
場所は福島県福島市。阿武隈川と高子沼の間にある丘陵地に位置します。
1973年に開園し、1999年に閉鎖されました。
オープン当時は「高子沼ファミリーパーク」の名で県内最大かつ初のジェットコースターがある遊園地ということで人気を博しました。1982年に経営者が変わり「高子沼グリーンランド」として再オープンしていますが、わずか17年後の1999年に閉鎖されています。
閉鎖理由は老朽化や経営難といわれていますが、事故が原因ではないかという噂もあります。
入口の建物には当時の資料や帳簿がそのまま残されていて、閉鎖前の売上が1日数万円ほどしか無かったようです。
現在は解体されてソーラーパネルが設置されています。
高子沼グリーンランドにまつわる数々の怖い噂
廃墟スポットには少なからず心霊系のウワサが付いてくるものですが、この高子沼グリーンランドは、海外のランキングサイトで「世界各国の恐ろしい場所」に選ばれているほど、心霊スポットとして有名ないわくつき廃墟です。
ネットで「日本にはグーグルマップで探せない不思議な廃墟遊園地が存在する」という噂が流れ、さらにホラーゲームや怖い写真に高子沼グリーンランドが取り上げられたことから噂だけが日本を飛び出し一人歩きしてしまったことがランクインの原因のようです。
更に「オバケ屋敷が出来る前にあった展望台からカップルが飛び降りた」「ジェットコースターから客が落ちた」「経営難によりオーナーが自殺した」など、地元でも様々な死亡事故の噂が立っています。
また、丘陵地に設置され、廃墟化した後はもの凄い森林と霧に覆われているので、この不気味なロケーションも手伝って恐怖スポット化しているのかもしれません。
グリュック王国
場所は北海道帯広市。帯広空港の近くです。
1989年7月1日に開園し、2007年2月5日に正式に閉園しました。
ドイツをモチーフとした巨大テーマパークで、本場ドイツから彫刻や遊具を輸入し、園内のビュッケブルグ城などは内装は壁画も忠実に再現されています。1992年8月に城の中にシュロスホテルが開設されました。
1997年頃から入場者数が大きく落ち込み、経営が悪化してしまいますが、屋内プールを計画したり、園内に「いがらしゆみこ美術館」を開設したり、TVドラマのロケへの貸出を行ったりと経営努力を続けます。
しかし、2003年にビュッケブルグ城修補修の為に休園した際、資金難の為に予定時期に営業再開することが出来ずにそのまま長い間休園状態となり、2007年2月5日に営業再開を断念し正式に閉園することになりました。
閉園後は競売されることになっていましたが、現在もそのまま放置され、廃墟ブームによる不法侵入や窃盗が相次ぎ問題となりました。
遊園地もなかなかですが、城の中の荒れっぷりが ”THE廃墟” って感じでかなりゾクゾクする光景となっております。
富士ガリバー王国
場所は山梨県西八代郡上九一色村(現在の南郡留郡富士河口湖町)。
1997年7月26日に開園し、1999年10月28日に閉鎖しました。
おとぎの国のガリバーをテーマとしたテーマパークで、全長45mの巨大なガリバー人形が横たわる姿は、廃墟でなくともかなり異様な光景でした。
どんな遊園地でも最初はそれなりに盛り上がるものですが、富士ガリバー王国はアクセスの悪さや、オウム真理教のサティアンがある富士ケ嶺地区にあったこと、競合の富士急ハイランドが強すぎたことなどの悪条件が重なり、開園当初から苦戦を強いられ、わずか4年で閉園してしまいました。
閉鎖後はなかなか買い手が現れずに廃墟状態となり、巨大ガリバー人形が侵入者による落書き被害に遭いました。
その後買い手が決まり、宿泊施設を予定して解体が行われましたが、その業者が倒産してしまった為、現在は更地となっていて跡地の再利用策は不透明な状態となっています。
まだ見れる
日光ウェスタン村
場所は栃木県日光市。
前身の「鬼怒川ファミリー牧場」が開業したのは1973年10月ですが、ウェスタン村という名前での歴史は1982年の3月から始まっています。2006年11月に事実上閉園しています。(公式では休業扱い)
アメリカ西部開拓時代を再現したテーマパークで、西部劇のアクションショーが見られる「ウェスタンランド」「イベントプラザ」、マウントラッシュモアのレプリカがある「アメリカンドリームランド」の3つのエリアで構成されていました。
東武鬼怒川線沿いに現れるマウントラッシュモアは、ウェスタン村のシンボルでもあり遠くから見ても迫力があり目立ちます。
ごまメモ
4人の歴代大統領の姿が彫られたこのマウントラッシュモアのレプリカは、当時7億円もの資金を費やして作成されたと言われています。
他にも、アメリカから輸入した動態保存の蒸気機関車(ワイパウ号、バージニア号)が乗客を乗せて村内を一周する「ウェスタン村鉄道」もあり、日光猿軍団や日光江戸村に並ぶ、日光・鬼怒川を代表的する人気テーマパークでした。
廃墟化した現在も長期休業中
2006年に11月に、施設メンテナンスの為2007年3月まで冬期休業すると公式サイト上で発表がありました。
しかし、2007年2月末に4月以降も継続して休園するとの発表がされています。
新聞報道によると、従業員を全員解雇したこと、土地建物が差押えされてしまったことなどから、実際は資金難により営業再開が困難な状況に陥っていた事が明らかとなっています。
表向きは未だに休業中扱いですが、2019年11月時点では建物や備品の撤去は行われておらず、経年劣化による傷みなどにより廃墟化が進み、実質的には閉園状態となっています。
新潟ロシア村
場所は新潟県北蒲原郡笹神村(現:阿賀野市笹神地区)。
1993年に開園し、2003年の11月に休業してからそのまま2004年4月に閉園しました。
新潟県初のテーマパークで、ロシアとの文化交流をが目的でした。
「柏崎トルコ文化村」「富士ガリバー王国」とともに、新潟中央銀行頭取であった大森龍太郎が主導した3大融資プロジェクト・ゴールデンリング構想の一つとして、同行の実質的なファミリー企業である「株式会社新潟ロシア村」により開業しました。
約10年という短い営業期間だった為、当時の映像や写真が少なく幻のテーマパークとされています。
ロシアの街並みを再現した多数の建物の他に、巨大なマンモス像や2階建ての豪華なメリーゴーランドが人気で、従業員も実際にロシア人を雇うなど異国情緒漂う雰囲気で大きな話題となりました。
しかし、客への訴求力が低くリピーターを獲得できなかった為か、入場者数は開園当初から伸び悩んでいました。
休業から閉園へ 10年間の短い歴史に幕
1999年10月にメインバンクである新潟中央銀行が破綻したことより資金繰りが悪化し、ハバロフスク地方政府などから物資の支援などを受けながら営業努力を続けましたが、2003年11月に休業状態になってしまいます。
その後も業績回復の目途が立たないことから、2004年4月にそのまま閉園となりました。
閉園してからは敷地内に開園当時の展示物や備品が放置されたままとなってしまい、警備体制の不備もあって、無断侵入者による施設内を荒らす事件が相次ぎました。
更に廃墟化が進んだ2009年には、不審火によってホテル棟が全焼する火災が発生しています。
火災発生後にようやく施設の撤去と建造物の解体が進められました。
2014年の時点で建物の多くはまだ残存していましたが、2020年末の段階では教会棟とホテル棟以外の建物は残っていない状態です。
まとめ
やはり遊園地の廃墟が一番ゾクゾクしちゃいます。
全盛期と廃墟化した後のギャップの大きさが原因ですかね・・・。
ほとんどが現在は形も残っていないのが残念です。
まさに、儚くも美しい夢の終わりですね。
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